toggle
2018-12-26

増えた楽しみと見方の変化

ここ2年ほどで増えた楽しみは、劇を観ること。自宅から自転車で15分ほどのところに小さな劇場を持つ劇団があり、しばしば子どもと見に行っている。出てくる歌を口ずさんでみたり、面白かったところを話したり、私と子どもの数少ない共通の楽しみである。

身近だけど、距離があった劇

私は、幼稚園から大学卒業まで習いごととして劇をベースにした身体表現の教室に通っていた。小さいころは取り上げる話やそこでの友達がただ楽しくて通っていたが、大きくなるにつれて求められることも増え、先生に「あなたは、不器用だから」と言われることが多かった。長年親のようにたくさん褒め、たくさん叱ってくれた先生だったので、今思うと「不器用だけど、ここを超えればもっとよい表現ができるよ」というメッセージが入っていたのだろうなと思うのだけれど、当時はそう思えなかった。

長く続けてはいたのは、劇が好きで、というより、辞めるタイミングを逸してしまったから、と思っていたので、劇は「よくわからない」「私は苦手なもの」というのが正直な気持ちだった。仲間から劇やアートの道に進んだ人がいても「あの子は表現上手だもんなあ」と他人ごとのように思ったり、「食べるのになかなか大変な世界なのに、なぜその道に進むのだろう」と思うくらいだった。

表現はまず自分とつながること

そんな見方が変わったのは、絵や文章など表現を仕事にする方と勉強会や仕事でご一緒にする機会が急激に増えたことだ。

作品作りの話を直接聞き、アトリエにお邪魔し、いろいろな作品を一緒に見ているうちに、作り手は日常から得たもの、感じた気持ちを糧にしながら自由に表現していることを知った。生み出される作品の根底には他者からの評価以前に自分とつながっていることを大切にしているのだ、ということも分かった。

私は上手くやれるか、無難なものができるか、普通はどう思うか、ということにばかり目がいって、自分の感じたことや出したいものを置いてきぼりにしていたのだと思う。

「そうか、もっと自分のなかにあるものを大切にして出すことが大事なのか」と思ったら、ずっと頭にあった「不器用だから」という言葉がどうでもよくなった。それ以来、劇を観ることが心から楽しくなった。

同時に、表現活動の合間に、一流の美術家や音楽家に作品に触れさせてもらったときことや話に出てくる自然科学や歴史を調べたことなどを鮮明に思い出すようになった。今手に取る本、調べたいこと、旅する土地など自分の興味がつながっていることにも気づいて、その経験や興味も大切にしていきたいと思うようになった。

とらえ方が変わる

今も時々「不器用だから」という言葉を思い出す。以前はその言葉にどこか心がきゅっと縮こまっていたけれど、「まあ、不器用かもしれないし、そうでないかもしれない。でも、もっと作品を感じることも、作ることも楽しみたい」と思う。

長年ひっかかっていた言葉、敬遠していたこと。そんななかに大切なものが隠れていることは意外とあるのではないか、と思っている。

夫と2人の息子(小学生と幼稚園)と暮らしています。
大学卒業後、東京で地域や旅の記事を書いたり、小さな会社のサポートに関わったりしたのち、地方都市に住む現在は子育て中心の生活をしながら、自分にとって心地よいシゴトと暮らしを模索中。
新しい土地を訪れて人や土地との関係を紡いだり、わくわくしている人の話を聞くのが大好きです。

関連記事