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2018-12-01

結婚式をつくることで見えてきたもの

「手作り結婚式」は思った以上に大変な作業だった。

フォトスタジオでもある一軒家を貸し切って、必要なテーブルや椅子を手配した。雨が降っても広い庭を楽しめるようにと大型のテントもレンタル。夫とともに何度も会場に足を運んでは、どこにビュッフェの食事を配置するのか、招待客はどこでリラックスして過ごせるか、予算は足りるかなどを話し合った。

招待状から飾りまではすべて手作り。夜なべして作ったそれらは、決してプロフェッショナルではなかったけれど、私たちらしさが溢れるカジュアルなものになった。写真や思い出の品を掘り出しては「当日飾るものボックス」へ放り込む。

「大変だ」と言いながらも、花子さんの力を借りながら夫婦二人三脚で結婚式を作り上げていくのは楽しかった。

(写真:©︎ainowa photography)

 

食べる人も、作る人も幸せに

結婚式で大切なのは食事。夫は特に食べ物に厳しく「人を招待するからにはおいしいものを!」と息巻いていた。そんな中、会場が提携しているレストランがケータリングもやっていると聞きつけ、花子さん同席のもとメニューや料金の確認をした。

試食をしてみると夫婦共々、大満足。地元の食材を使った料理の美味しさ、そしてカジュアルさはまさに私たちが求めていたものだった。

(写真:©︎ainowa photography)

 

「エシカルウェディングだったら」

一通りメニューやドリンクの説明をし終わったあと、レストランの担当さんが付け加えた。

「ティラミスのコーヒーは、フェアトレードにしましょうか」

フェアトレードとは「公正な取引」という意味で、生産者の人々にしっかりと対価が支払われる仕組み。カカオやコットンなど発展途上国で栽培されて、私たちの手元に届くものの値段は世界市場によって大きく変動する。特にコーヒー豆を栽培している農家は、その労働に見合わずに安い値段で買い叩かれてしまう現状が映画にもなり話題となった。

自分の結婚式で振る舞われるコーヒーが、フェアトレード。小さなことだけれど、それだけで誰かを少しだけでも幸せにできるような気がした。

(写真:©︎ainowa photography)

 

どこからが「エシカル」ウェディング?

宴をするということは、少なからずゴミや環境に悪いもの、エシカルとは言い難いものが出る。結婚式なんていうのはその最たるもので、招待状の紙から飾りのガーランドの布まで「エシカルじゃない」と言い出したらキリがない。それでもなるべく生産者を気遣ったものを使ったり、エコを意識したりする、「私たちもゲストも、生産者も、地球も、みんなが幸せになる」のが「エシカルウェディング」の腕の見せ所なのだ。

しかし、私はだんだんとその度合を図るのが難しくなってきていることに気づいていた。はじめはドレスだけでよかったはずのエシカルが、私の中でどんどん膨らんできてしまっていたのだと思う。「代わりに再生紙を使おう」だとか「ゴミが出てしまうからいらない」などと言い出す私を、夫は呆れたように見た。一般的に、結婚式では新婦が「あれもこれも」とオプションをつけたくなって高額になり夫婦喧嘩になると言う。それが私の場合は「あれもこれもエシカルにしたい」だった。

今思えば、そんな独りよがりのエシカルウェディングなんて何の意味もなかったのに。

(写真:©︎ainowa photography)

それでも準備の間、夫とは喧嘩しながらも建設的な話し合いができていたと思う。招待客の人数が絞れない私、ウェディングケーキにこだわりすぎる夫、招待客へのギフトの内容や値段設定。いろんな意見が食い違いながらも、少しずつ妥協し合っていた。

「エシカルにしたい」という私の要望も、夫はできる限り答えてくれた。そして私のほうも突き詰めすぎない「エシカルウェディング」を形にできそうな気がしていた。

ところが、ある一点だけはずっと平行線だった。結婚指輪である。

デザインはなんでもいい、だけど

「エシカルゴールドを使った指輪は、こちらになります」

まぶしく輝く金色の結婚指輪を、左手の薬指にはめてみる。特に凝ったデザインではないが、シンプルで素敵だ。ふむふむなるほどね、と愛想の良い店員さんに値段を聞いて、夫婦揃って固まった。

あまり知られていないが、世界の金鉱山での労働には大きな問題がたくさんある。まず採掘に携わっている人々の労働環境は劣悪なものが多く、中には児童も含まれる場合がある。そして金を加工する際に水銀を使用するため、健康被害や環境問題となっているのだ。そのような採掘・加工されていない金や銀から作られたアクセサリーは「エシカルジュエリー」と呼ばれている。

「ずっと身につける結婚指輪は、エシカルジュエリーにできたらいいな」

そんな思いで夫を連れ出し専門店で試着まで漕ぎつけたものの、その値段は24歳ほぼ新卒の私たちには手が届きそうになかった。いや、多少の無理をすれば手は届いたかもしれないが、そのためには脚立を持ってきてその上につま先立ちをするくらい無理をする必要があった。

「気持ちはわかるけど、ただでさえ結婚式でお金がかかるから難しいよ」

夫にもそう言われて、そのとおりだというのはわかる。でも、結婚指輪でもなければエシカルジュエリーなんて絶対に買えないだろう。私たちの結婚指輪の金が、誰かの不幸の上にできあがっていたらどうしよう。そんな気持ちが渦巻いて、なかなか諦められないでいた。

 

私たちにできる範囲の「エシカル」を見つける

ある晩、ソファに座る私の横に夫が寄ってきた。

「ねえこの指輪、どうかな」

見てみると、なんとEtsyのサイトではないか。EtsyとはハンドメイドやクラフトなどをCtoCで販売できるマーケットプレイス。プロからアマまで、さまざまな作り手が商品を販売している中に、そのゴールドの指輪はあった。

(写真:©︎ainowa photography)

 

「リサイクルゴールドなんだ。確かに金はどこから来たのかはわからないけど、もう世の中に出てしまった金を、無駄にせずに僕たちの指輪にしてもらえる。ニューヨークのアーティストが作っているものだから、彼女たちの応援にもなると思って。これは『エシカル』じゃないかな?」

夫が見つけてきたその指輪は、美しかった。金槌で叩かれている波打った表面は、ひとつひとつ手で作られているのが伝わってくる。そして何よりも、夫の歩み寄りが嬉しかった。彼自身はエシカルのエの字も気にしていなかったのに、私のためにいろんな工夫や妥協をしてくれていたんだろう。

「エシカル(倫理的)」という言葉が持つ曖昧さが、このときはありがたくて、私たちはこのアーティストに結婚指輪を依頼した。

(写真:©︎ainowa photography)

あのとき、まだ若い私たちにはお金がなかった。でもとことん話し合う時間と、お互いを思いやる気持ちがあったのは確かだ。この結婚式をつくる過程で、お互いが何を大切にしているのかを知ることができた。例えそれが相反するものであったとしても、その歩み寄り方を少しずつ学んでいったように思う。

エシカルウェディングに関しても、この頃には私の肩の力は抜けていた。「できる範囲でエシカルにする」というのは自己満足と言われたらそうかもしれない。だけど、それでもいい。私たちと招待客、そして関わる多くの人が幸せになれる空間を作ろう。そう思えるようになっていた。

私は私にできるエシカルを。さて、いよいよ結婚式だ。

1990年東京都生まれ。学生時代に国際協力を専攻し、児童労働撤廃を掲げるNPO法人での啓発担当インターンとしてワークショップなどを担当。製造業や野菜販売の仕事を経て「もっと消費者が作り手のことを思う世界にしたい」という思いから、主に職人や物の向こうにいる人に取材・発信している。刺繍と着物、食べること、民族衣装が好き。

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