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2019-09-07

連載「ものとわたし」第三回 代々受け継がれるベビーガウン

身の回りのものを見渡すと「これって、どうやって自分のところまで来たんだっけ」と思うものがある。あなたの周りにはどんなものが多いだろう。買ったもの? 作ったもの? それとも、誰かにもらったもの?

今回、私が見つけた「愛しいもの」は、夫の実家に代々受け継がれてきた、娘のためのガウンだ。直接的に私のものとは言えないけれど、今こうやって私の手元にやってきた愛しいものであることに変わりはない。

娘が生まれる前、お宮参りをする家族を見ながら「うちも産着や掛け着をレンタルして、ああやって和装で写真撮るのかな」と、ぼんやり考えていた。お母さんが赤ちゃんのときに着た産着を娘にも、という話も聞くけれど、我が家にはそういうものはなかった。

そんなときに夫の両親から「日本では、赤ちゃんが産まれたときのセレモニーのようなものはあるの?」と聞かれた。お宮参りの話をしたら、両親が目を輝かせて言ったのだ。

「ぴったりの服がある。もしよかったら、それを着せてあげてくれないか」と。

このガウンは正式には「Christening gown」と呼ばれ、キリスト教の洗礼式のときに赤ちゃんが着るものだそう。いろいろな形のものがあるけれど、基本的には裾が長いドレスのようなもので、それを着た赤ちゃんを抱っこすると裾がふわーっと床まで届いて素敵なのだ。イギリス王室の洗礼式の写真を見てみると、どの時代も赤ちゃんは裾の長いガウンにくるまれて大事に抱えられている。

義理の両親に渡されたガウンは、義父の祖国デンマークからやってきた。夫のおばあさんが赤ちゃんのときに洗礼式で着たものだ。シルクの生地がするりと肌触りよく、ところどころに施されたレースが愛らしい。長く垂れ下がる裾の背中側を見ると、おばあさんの名前と洗礼式の日が丁寧に刺繍されていた。1931年、もうすぐ100年にもなる。歴史あるガウンの背中にはおばあさんの下にも、これまでガウンを着てきた赤ちゃんたちの名前と日付が続く。

夫の伯父さん、お父さん、お姉さん、姪っ子、甥っ子……

名前をなぞりながら、あれ、待てよ、と思う。夫の名前がないではないか。

「このガウンは、火事のなかを生き延びたんだよ」

義父に聞くと、夫が産まれた年、おばあさんの家で大きな火事があったそうだ。夫の洗礼式のときには、家は荒れ、とてもガウンを探し出せる状態ではなかったのだ。

「片付けていたらガウンが出てきたから、着せてみたけど、その頃にはもうずいぶん大きくなっちゃってたんだよねえ」と義母も笑った。

そういうわけで、ガウンの背中に夫の名前はないけれど、そこには別の思い出が付随して、家族のあいだで語り継がれている。

娘が生まれて1ヶ月後、図らずもちょうどお宮参りの時期に義両親は日本へやってきた。もちろん、大切なガウンを持って。

季節は夏で、日差しの強い暑い日だった。大人たちが袖なしの涼しげな格好をするなか、娘だけが長袖の裾が床まで届きそうなガウンを着ていた。小さな神社にはクーラーはなく、大きな扇風機がこちらを向いたときだけ息ができる、そんな暑さだったのを覚えている。

「暑いよね、ごめんね」と言いながら娘にガウンを着せる。娘は、別に気にならないよという表情で、お宮参りのあいだじゅうおとなしくドレスのなかに収まっていた。なんて親孝行な子だろう。

日本の神社に突如現れた、デンマークのベビードレス。和柄の掛け着に比べたら、少しちぐはぐな組み合わせだけれど、なんだか私たちらしいような気がした。小さな神社のなかには、国際結婚をした私たち夫婦とその家族がいて、いろんな格好をしていて、もはやそれは正式な「お宮参り」と呼べないのかもしれない。でも、ここにいる全員が「ようこそ、我がファミリーへ!」と思っているのは間違いなくて、家族に受け継がれてきたガウンを羽織った娘は立派なファミリーなのだ。

お宮参りが終わってからは、私の仕事が待っていた。連なる家族の名前の下に、娘の名前とお宮参りの日付を刺繍する。もともと刺繍は好きで、簡単な刺繍は何度かしたこともあるけれど、今回はまったく針が進まなかった。

理由はふたつ。ひとつは0歳児を育てていると、ゆっくりと刺繍する時間なんてないということ。そしてもうひとつは、ちゃちゃっと簡単に刺繍できるような代物じゃないという重圧が私のなかにあったことだ。

夫のおばあさんは、刺繍や縫い物、編み物などの手仕事が得意だったと聞いている。私は直接会うことはできなかったけれど、夫の実家にはおばあさんが残していった数々の作品が残っているのだ。

そんなおばあさんが施したこれまでの刺繍は、それはそれは美しかった。どうすればこんなふうにおしゃれな文字が刺繍できるんだろう、と見たけれどよくわからなかった。シルクの布は繊細で、一度針を通すと穴が目立つこともわかった。何度もやり直しはきかなそうだ。

そうして手がつけられないままに、1年が経ち、この夏に娘を連れて実家に帰ることになった。私はガウンと針と糸をスーツケースに詰め、日本を発った。実家にいるうちにかならず縫い上げて義母のもとに返そうと決めて。

「気にしすぎなくて大丈夫だよ。私なんて甥っ子のミドルネームを入れ忘れちゃったんだから」

責任重大な刺繍にビビっていると義母に漏らすと、明るく言われた。よく見ると、本当だ、たしかに甥っ子のミドルネームが抜けている。なんだか気が楽になって、家族でのんびりと過ごす夕べに、刺繍をすすめた。

家族で過ごしたお宮参りの暑さを思い出しながら。暑かっただろうに良い子にしていた娘のかわいい顔を思い浮かべながら。会ったことはないけれど家族になった夫のおばあさんを想いながら。やっぱりいつもの刺繍より、ひと針ひと針は重たかった。

娘の名前を刺繍し終えると、それはおばあさんのように美しいものとは言えなかったけれど、私はとても満足していた。なんだかそれは、私まで家族の歴史の一因になった証のような気がしたのかもしれない。

次は誰の名前が刺繍されるのか、誰が刺繍するのかはわからない。けれど、この代々伝わるベビーガウンは、きっとこれからも誰かの手に渡っていく。そこには家族の思い出と歴史が詰まっていて、なんだかそういうのっていいなあと思うのである。これから娘に新しいものを買ってあげるのもいいけれど、そうやって物に込められた思い出までを渡してあげられるものを作っていきたいと思う。

1990年東京都生まれ。学生時代に国際協力を専攻し、児童労働撤廃を掲げるNPO法人での啓発担当インターンとしてワークショップなどを担当。製造業や野菜販売の仕事を経て「もっと消費者が作り手のことを思う世界にしたい」という思いから、主に職人や物の向こうにいる人に取材・発信している。刺繍と着物、食べること、民族衣装が好き。

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